No.96 (フランス革命A)  : 

「フイヤン派・ジロンド派はそれぞれどのように崩壊したか?」

ヴァレンヌ逃亡事件で制定が急がれた、91年憲法に基づく立法議会が成立。
左翼(革新派)のジロンド派と貴族中心の右翼(保守派)のフイヤン派の内
部対立は、92年の8月10日事件で後者が崩壊して終わる。王権停止後の国民
公会で保守の立場になったジロンド派による内閣は、内外の失政で急進左翼
のジャコバン派によるクーデタで崩壊した。

<評価の観点>
関心・意欲・態度:

左翼や右翼という言葉の語源が、フランス革命での革新派と保守派それぞれ
が陣取った、議員席の場所に由来することに大きな関心を持ちながら、意欲
的に学習に臨んでいる。

思考・判断:
立憲王政期にはフイヤン派が右翼でジロンド派が左翼であったのが、共和政
期になるとジロンド派が右翼でジャコバン派が左翼となったことと、その理
由について的確に判断している。

資料活用の技能・表現:
貴族の服飾への対抗に由来する、サン=キュロット(「半ズボンなし」の意
味)たちを描いた絵画を見ることで、革命の急進化の推進力となったパリ民
衆について理解を深めている。

知識・理解:
革命の終着駅を立憲王政の確立と考えたフイヤン派と、温和な共和政の確立
と考えたジロンド派が、革命の進展する過程で果たしたそれぞれの役割につ
いて、基本的な知識を身につけている。